猫石永承6年(1051)から康平5年(1062)に行われた前九年合戦で安倍貞任に苦戦した源義家は本陣のある湯ノ館山(繋温泉南方の山)まで退きました。しかし、兵糧が尽き山中の動植物を悉く殺生した為、それらの骨や肉片、種などが重うことで猫の形をした大石となり義家をいましめたと伝えられています。大石は戦の後も此の地に留まった為、住民は猫の霊が守護神になったとして赤飯をあげるなど信仰の対象となりました。当初は道路の両側に鎮座し温泉街の門のようになっていたことから招き猫などと呼ばれていましたが、道路の拡張工事により片側は消滅し、残った方もかなり小さくなりました(往時は5m程の巨石だったそうです)。